映画『教皇選挙』
特別試写会アフタートーク
オフィシャルレポート
開催:3月13日(木) 於:神楽座
登壇者:ISOさん(ライター)、
晴佐久 昌英神父(カトリック市川教会 主任司祭)
1:はじめに
ISOさん(以下、I):「西部戦線異状なし」のエドワード・ベルガー監督作ということで高く設定されたハードルを優に超えてくる、今の時代に生まれるべくして生まれた傑作でしたね。私が今年観たなかで現状最も面白い作品だと思うのですが皆さんはいかがでしたでしょうか?カトリック教会の信徒の方はこの驚きに満ちた作品をどう観るのかなというのはとても気になっていたので、今回晴佐久神父にお話を伺えることをとても嬉しく思います。短い時間ですがよろしくお願いいたします。
晴佐久神父(以下、H):私はこの映画にとても感動しました。実は最初に配給会社の方から登壇オファーを頂いた時は「え、トークショー? 本編観てからじゃないと返事できません」と言ったのですが、観てからは「是非、喋らせてください」とこちらからお願いしました(笑)。さて皆さん、今日は3月13日ですが、何の日かご存知ですか? 「教皇フランシスコがコンクラーベで選出された日」なんです。ちょうど12年前の今日です。これに合わせて試写会日程を決めたんですか?と聞いたら偶然だそうですけども。
私は本作を観て、3回泣きました。今日はその感動を皆さんと分かち合いたいと思って来ました。どうぞよろしくお願いいたします。
2:密室劇と、聖霊の風
H:私は閉所恐怖症でして、外から鍵を掛けられるシーンはドキッ!としました。あの密室で爆弾・爆風によって穴が空き、最後の投票で風が吹いてくる、というシーンがありますね。ほんのちょっとの風で、(手元の紙を1枚持って)こういうふうに投票用紙がぴらぴらっと動いたシーンがあったのが印象的です。あれだけ厳重な密室として描くからこそ、新しい息吹や多様性の芽生えといったものが、ほんの少し出てくることで逆に際立つのだと思います。穴が空いて、風がスーッと入ってきて、紙がチロチロっと揺れるシーン、私は大好きです。
I:鳥のさえずりも聞こえてきましたね。
H:そうそう、チチチチってね。密室だったからこそ、そこに吹いてくる風のすばらしさを感じられる映画だと思います。「コンクラーベには聖霊の風が吹く」とよく言われるんです。「父と子の聖霊の~」の、あの「聖霊」です。神様の息吹、この世界を導いていく愛の力——そういう力がコンクラーベには必ずはたらくと言われている。だから、映画で描かれるのは虚々実々の駆け引きだけれども、蓋を開けてみると、本当にその時代にふさわしい教皇が選ばれて次の教会をつくっていく。それがあのほんの少しのそよ風で表現されています。コンクラーベに吹く風が、この映画製作者のなかにも吹いている。そして観る人のなかにも吹いてくる。それがこの映画の本当の魅力だと思いました。
3:映画のリアリティ
I:カトリック教会に限らず、現代社会の縮図としても描かれている映画だと思います。北米では去年の大統領選の最中に公開されたこともあって「政治スリラー」と評されてもいました。劇中ではリベラル派と保守派といった枢機卿同士のバチバチの対立も描かれていますが、そのリアリティについてはどう観られましたでしょうか?
H:皆さん、本当のところは一体どうなんだろう?とお思いになったのではないでしょうか。映画だから多少盛っているところはあるにしても、大体こんな感じですよ。特別に誇張したわけではなく、保守派がいて、リベラル派がいて。食事のシーンでローレンスがテデスコに対して放つ「これはユニバーサル・チャーチだ」というイタリア語の台詞がありましたね。カブールから来たベニテス枢機卿を受け入れることについて「この普遍的な教会がすばらしいことを示している」と言います。普遍教会、そのシンボルなんだ、と。それでテデスコが「それぞれの民族で固まってるじゃないか(皆 同胞とくっつく)」と毒づくわけです。カトリック教会には全世界に14億人の信徒がいて「カトリックのない国はない」と言われています。まさにユニバーサル・チャーチ=普遍教会という言葉が言い得ています。
そんななかで、イタリア出身者が400年以上もの間、教皇になっていました。そこに(1978年に)ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世が教皇になって、次がドイツ出身のベネディクト16世、今度はアルゼンチン出身のフランシスコ教皇、と続いています。「次はそろそろアジアの教皇か? それともアフリカの教皇か?」なんて噂が立つのは突拍子のない話ではなく、ずっと言われていることなんです。下馬評ではフィリピンの枢機卿が次のアジア初の教皇になるんじゃないか?と言われていた時期もあったし、韓国の金枢機卿もすごく人気があったし。そしてこの映画ではなんとなんと、アフガニスタン、カブールの枢機卿が!となるわけです。さてこれが現実に有るか無いか、ですね。聖霊の風が吹いて、2/3の票が集まると、どんなダークホースでも教皇になって、次の時代をつくっていきます。私はそのリアリティを感じます。教皇フランシスコが選ばれたときも感動しました。
ちなみに、日本のカトリックの割合は世界で一番低いんです。(自分の服を指して)こんな人に会ったことないでしょ(笑)? これは神父の正装なんです。私、教誨師をやっていまして、今日は刑務所から直接ここに来たもので、普段はあまり着てないのですが、ちょうどこういう恰好をしています。皆さんはカトリック神父ってそんなには会ったことが無いと思いますが、こういう神父が日本には千何百人、全世界には40万人います。
4:ベニテス枢機卿が教皇に選ばれたこと
I:私はベニテスが教皇に選ばれた際に驚いたのですが、晴佐久神父はその前の段階で彼が選ばれることを察知したと伺いました。
H:私が泣いたと申し上げた3つのシーンのうちのひとつは、ベニテスの食前の祈りなんです。私も祈りのプロなので、あのような場で、定型の祈りをするだけじゃなく、本当に心から、心情溢れる、貧しい人のことも考えて今の食事に感謝する、そういう祈りをすごく大切にしている者としては、いやぁもうほんとに、「こいつと酒飲みたい!」と思ったんです(笑)。それほど良い祈りでした。その時にもしかして…、「ネタバレ注意」という映画だとも聞いていたから…もしかして…もしかしてじゃないの? と思ったのが最初ですね。そして確かにそう思ったのは、爆発が起きた後に劇場のような場所で、枢機卿同士が集まっているときです。テデスコが「宗教戦争だぞ!」と声を荒げますね。そこでベニテスがすっくと立ちあがったでしょう。その隣には誰も座っていない。少し離れた周囲に、まるで十二使徒のように、他の枢機卿が座っています。髪の長いベニテスが立ち上がり、あの説教・スピーチをしたときに私は思いました。これはまさに宗教画だ、イエス・キリストだ、話してる内容も含めて、と。皆さんはどうだったでしょうか。びっくり仰天だった? 私は、映画を観過ぎている(※)せいかもしれませんが、あれこれ予想をしてしまって…その意味ではあんまり映画を楽しめないのかもしれないですね。それにしても、あのカットはすごくイエス・キリストを思わせて、美しかったです。あそこでもまた泣かされた。「多様性こそが教会の宝だ」というメッセージに感動しました。
※晴佐久神父は日本カトリック映画賞を授与するシグニス ジャパン(
https://signis-japan.org/)の顧問司祭を務められています。
5:フィクションとリアルの融合、枢機卿の在り様
I:上映中、控室でモニターに映る本編を観ながら晴佐久神父の解説を聞いていたのですが、副音声で欲しいなと思いました(笑)。いつかDVD出される際にはぜひ。
さて、本作は宗教アドバイザーやラテン語の台詞等も取り入れてリアリティを追及していますが、部分的には映画の為に脚色されています。例えば枢機卿の法衣は実際はもっと朱色がかった明るい色ですし、生地も重厚になっていたりします。
H:映画のほうが綺麗で良いですね。今の枢機卿の服はもう少し安っぽい赤色で、東京教区にいらっしゃる菊地功枢機卿は、この法衣が本当に似合わない(笑)。でもそれはいい意味なんです。素晴らしい枢機卿なんですよ。弱い人、貧しい人、苦しんでいる人のための、赤十字よりも大きい「国際カリタス」というNGO組織がカトリックにはあるのですが、その総裁になられています。コンゴで、家の中に銃弾を打ち込まれるような内戦の戦火をかいくぐって働かれていた。そういう方が枢機卿に選ばれて。私も同じ東京教区で「うちの司教が枢機卿になった!」とうれしかったですね。偉いというよりも、本当に仕える者である、というのが枢機卿の枢機卿たる理由でなければならないし、さらにその中から選ばれる教皇は別名「僕の僕(しもべのしもべ)」と呼ばれる存在です。上に立って皆を支配するのではなく、一番下で皆を支えるという意味です。
6:枢機卿という存在
I:「枢機卿」という存在に馴染みが無い方が多いと思うのですが、どのように選ばれるものなのでしょうか?
H:いま、枢機卿になっているのは、教皇フランシスコに選ばれた方々です。枢機卿が次の教皇を選ぶわけだから、教皇の長い治世の間に、自分の方針を実現してくれそうな人を枢機卿にするんです。去年、菊地枢機卿が選ばれたのは、彼ならば教皇フランシスコの路線=リベラルで多様性を重んじることを実現できる、という期待の表れでしょう。菊地枢機卿のモットーは「多様性における一致」なんです。
そしていつかは、またコンクラーベが行われます。…というか、今も気が気がじゃないです。早晩コンクラーベがあるかもしれません。枢機卿が集まるから、皆さん行ってみてはいかがでしょうか。私は2005年、教皇ヨハネ・パウロ2世の葬儀ミサでバチカンに行きました。その2週間後にコンクラーベがあって、ベネディクト16世が教皇に選ばれました。ちょっと堅物というか、良い人なんだけれどもバチカンを改革するだけの人物ではなかったので、沈滞ムードが漂っていた…と思いきや、なんと、このベネディクト16世が教皇として数百年ぶりの生前退位を決心して、それで教皇フランシスコが選ばれた。そのときに私は「あの時にベネディクト16世が選ばれたのは本当に聖霊のはたらきだったんだ」と思いました。それから今まで、12年間の教皇フランシスコの働きがどれほど素晴らしいかということは、ぜひ皆さんに知っていただきたいです。
7:教皇フランシスコがベニテスのモデル?
I:ラテンアメリカ出身者であることや貧困層に対する問題意識などさまざまな共通点から、ベニテスのモデルは教皇フランシスコのように思われますがいかがでしょうか?
H:間違いないでしょう。枢機卿でありながら地下鉄に乗って通勤して、貧しい人には自分の毛布を分ける、といったことを地でやっていた人ですから。教皇フランシスコは「本当に貧しい人、弱い人、一番排除されて辛い思いをしている人のところに寄り添うカトリック教会にしよう。建物の中に閉じこもってはいけない。神父は教会の外に出ていって皆に仕えよう」と仰っています。私が教誨師をやっているきっかけのひとつです。今日昼間に刑務所でこの映画の話をしたら、受刑者がすごく興味をもってくれて、「観たいけどなぁ…ここじゃ観られないんだよなぁ」と言っていました。
8:結末について
I:新教皇選出が驚きの結末を迎えたあと、ベニテスがインターセックスであるという予想だにしていなかった新事実が明らかとなります。ベニテスが教皇で選ばれたことは、彼のなかにある女性性のようなものが「世界最古の家父長制」と呼ばれるカトリックに教会にこれから風穴を空けることを期待させますね。
H:あのラストは想像つきませんでした。だけど、スクリーンの前で拍手しました。素晴らしい!これこそユニバーサル・チャーチ、多様性です。まさに神の子なのだから、男女の性差だとか、何人だとか何教だとか、そういうのは止めましょうよ、というのがイエスの教えだったはず。ですがカトリック教会はいつの間にか保守的になり閉鎖的になった。原理主義的ではなく普遍主義に向かおう、あの亀のようにゆっくりゆっくりでいいから、というメッセージ。「教会は前進するものです」というベニテスの台詞もありました。進んでいこうよ、という励ましです。「風穴」と仰いますが、僕からすると、全然良い、むしろ何の問題があるの?と逆に不思議に思うほどです。やがては女性司祭も誕生するでしょうし。
皆さん、映画のラストシーンを覚えていますか? ローレンスが窓を開けると、「ノビス」が出てきますね。白い服を着ていて、あれは修道女ではなく修練女=ノビスと呼ぶのですが、シスターになる前の修行生のようなニュアンスです。その修練女が陽気に笑って、おしゃべりしている。あの三人が、ローレンスが見下ろす広場を通り過ぎて、フレームアウト。カッコいいじゃないですか、あのラスト!美しいラストカットです。あれはもちろん、今は抑圧され、蚊帳の外に置かれているような女性も、この教会を救って、導いて、やがて世界を救っていくシンボルになるんだ、そういう希望のラストだったと思います。
I:監督は「脚色は原作をどう削るかが大切」と語っていました。原作ではローレンスが自宅に帰るまでが描かれているようなのですが、監督は敢えてあそこで切ったそうです。閉鎖的な場所から修練女たちが出てくるカットで終わらした意味は非常に大きいですよね。監督自身がこれからの未来に希望を込めた素晴らしいラストだと私も感じました。
9:終わりに
I:先日、監督にオンラインインタビューをしたんです。そこで、どんな映画にしたいと思ったのか?と聞いたら、「チェスゲームをイメージした」と言っていました。劇中の冒頭で、ベリーニが教皇と手合わせしたチェスの思い出を語り、「教皇は常に8手先を読んでいた」という台詞がありますが、実はこの映画教皇が黒幕だったんですね。教皇が鍵を握っていたという部分を思い返しながらもう一回観ると色々と繋がる部分があり非常に面白いので、ぜひ再鑑賞することをオススメします。
H:カトリックには多様性の中に本物があるという考えがあります。でも多様性を見出すこと、維持することって大変ですよね。だからこそみんなでお互いを聴き合って、受け入れ合って、キリストがいうところの神の国、それは何教・何宗の話ではなく、普遍的でみんなが幸せになる神の国を目指しましょう、というのがカトリックなんです。本作を通して、そういったカトリック性、普遍性というものに興味を持っていただけたらうれしいです。教会にはまだまだ色々な問題が山積していますが、その一番真ん中には、すごく透明な、普遍主義というものがイエス由来でちゃんと流れてますから。私はこの映画にそれがきちんと流れているのが、本当にうれしかったです。今度はカトリック市川教会にお越し頂いて、一緒にワイン飲みながら語り合いましょう(笑)。ということで、皆さんにお会いできてよかったです。
解説のご挨拶
-Keyword:001
漁師の指輪
劇中では教皇の死後、枢機卿が集まり、まず身につけていた“漁師の指輪”が破壊される。それはもともと漁師の指輪は印章の役割を果たしていたために、悪用防止のため教皇死後に破壊されていたという伝統が慣習化されたもの。この漁師の指輪を破壊する模様は『天使と悪魔』(2009)でも描かれている。
-Keyword:002
目指したのは陰謀スリラー?
ベルガー監督曰く、本作はアラン・J・パクラ監督の『パララックス・ビュー』(1974)や『大統領の陰謀』(1976)といった政治的な陰謀スリラーにインスピレーションを受けたという。とりわけ『パララックス・ビュー』の全編に漂う緊張感や閉鎖的なトーン、正確な画作りや編集は研究対象として刺激を受けたと語っている。
[参考①/参考②]
-Keyword:003
枢機卿の多様化
劇中で保守派筆頭候補のテデスコは「イタリア人の新教皇は40年以上出ていない」と語るが、かつて教皇=イタリア人という時代があった。1522年から23年に在位していたオランダ人のハドリアヌス6世以降、前々教皇であるポーランド出身のヨハネ・パウロ2世が1978年に在位するまで455年の間イタリア人教皇が続いていたのだ。これは枢機卿をイタリア人及び欧州出身が多数を占めていたからだが、それも昔の話。

教皇庁の報道機関である〈The Holy See Press Office〉によれば、現在で枢機卿は世界に252人おり(うちコンクラーベの選挙権を持つのは137人)、欧州出身はうち45%のみで、12%はアフリカ、15%はアジアと、その割合はここ数十年で急速に多様化しつつある。それは信徒も欧米諸国で減少している反面、アジア・アフリカでは増加傾向にある状況を反映していると言えよう。とりわけ教皇フランシスコはバチカンの構造改革を志し、高位聖職者にアフリカ、アジア出身者を多数任命している。カトリック=欧州の宗教という印象を抱いていると劇中の描写に驚くかもしれないが、そこに嘘偽りはなく、次の教皇選挙では初のアフリカ系・アジア系教皇が着座してもおかしくはないのだ。
-Keyword:004
イン・ペクトレ=「秘密裏に」任命された枢機卿
教皇によって秘密裏に任命されていた枢機卿ベニテスの登場により、ローレンスが取り仕切る教皇選挙は出だしから混迷を深めていく。枢機卿が秘密裏に任命されることをイン・ペクトレ(in pectore=ラテン語で「心の中に」といった意味)と呼ぶが、この慣習は実際に存在する。そのような方法を取るのは枢機卿という立場が知られると危険が及ぶという理由から。

イスラム主義勢力タリバンが権力を掌握するアフガニスタンではキリスト教徒が迫害されている状況があるために、アフガニスタンの首都カブールで活動するベニテスの立場が隠されることとなったのだろう。ただ教会法によれば、教皇が死去する前にイン・ペクトレを公表していないと枢機卿である資格がなくなるそうだ。つまり現実にはベニテスは教皇選挙に参加することはできない。原作小説では教会法が改定されたためにベニテスは枢機卿でいられたと説明されているが、映画ではその部分が省かれている。
-Keyword:005
世界最古の家父長制
枢機卿が人種的多様性を見せる反面、ベルガー監督がカトリック教会を「世界最古の家父長制」と述べた通り、男性信徒より女性信徒が多いにも関わらず、そこには根強いジェンダー・パラドックスが存在する。教派によっては女性の聖職者を認めているプロテスタント教会に対し、カトリック教会では未だ女性は聖職者(司祭以上)になれない。かつてはカトリック女性にも助祭職がいたと言われるが、それも9世紀頃まで。神学の歴史的重要人物とされる13世紀の神学者トマス・アクィナスなどにより「女性は男性より劣る」と定義され、常に教会の主導権は男性が握ってきた。

2016年にドイツ人のヴァルター・カスパー枢機卿が「女性もコンクラーベの選挙権を」と訴えるなど体制を疑問視する声は内部からも上がってはいるが、現状は2023年に世界代表司教会議(シノドス)の女性投票権が認められたことに止まっている。劇中では「教皇庁ではもっと女性に活躍してほしい」と語るベリーニに対して「その意見は控えたほうが良い」と仲間の枢機卿が提言するなど、リベラル派でも女性活躍に対しては保守的であることが示される。
-Keyword:006
システィーナ礼拝堂の絵
システィーナ礼拝堂の絵画はルネサンス期の名だたる巨匠たちによって描かれている。なかでも有名なのがミケランジェロが手掛けた天井画「天地創造」と祭壇正面の大壁画「最後の審判」であろう。劇中でもその2つの絵画が大きく映し出されるが、とりわけ印象的なのが爆発の直前、ローレンスが投票する際に「最後の審判」を見つめるシーン。

「最後の審判」は左側に天国へ向かう人々を、右側に地獄へ向かう人々を描いており、ローレンスが視線をやるのは“最後の審判”の始まりを告げるラッパを吹く天使たちの姿。これで審判(選挙結果)が下るに違いない、というローレンスの内心を表しているのだろう。そして結果的に、その直後に起こる爆発がきっかけでベニテスが教皇になるという審判が下される。
-Keyword:007
無名な枢機卿の勝利
教皇選挙は教皇が死去(辞任後)してから15〜20日の間に開催されるが、実際のところ、新たな教皇にどのような人物が相応しいか教皇選挙が始まるまでの段階で話し合われるという。有力候補は各国枢機卿団の食事会にも招かれ、人物評定が行われるので教皇選挙が始まる段階で候補はかなり絞られるのだ。そのなかで秘密裏に任命されたベニテス枢機卿のような無名の人物が教皇に選ばれることはあるのだろうか?答えは「ある」だ。それを体現しているのが現教皇のフランシスコ教皇である。アルゼンチン出身のフランシスコは、メディアが挙げる有力候補リストにもなかった存在であった。

だが選挙前の枢機卿総会で語った「権力争いは止めて、教会の報せを周縁の人々にまで届けるべき」という旨のスピーチが決定打となり教皇に選ばれたという。ベニテスが教皇に選ばれる決定打となったスピーチとの類似性や、ラテン・アメリカ出身という共通点からもベニテスがフランシスコを意識していることは明らかだ。ベニテスは食前に貧しい人々に向けた祈りを捧げたが、この貧困層に対する態度もフランシスコと符合している。
[参考①]
-Keyword:008
教皇名はどう付ける?
新教皇の選出後、首席枢機卿或いは最年長の枢機卿が選出者に選挙結果を受け入れるかを確かめる。受諾すると次に「どんな名前を選びますか?」と尋ねられるので、そこで選出者は教皇名を名乗る。ただちに名前を選ぶ習慣は11世紀からと言われており、それまでは本名が使われていたという。ローレンスが名乗ろうと考えていた「ヨハネ」は、これまで最も名乗られてきた人気の教皇名。直近でその名を名乗ったヨハネ23世(在位:1958年〜1963年)は、冷戦下で米ソ間の仲介に尽力し、エキュメニズム(教会一致)を目指すなど教会を刷新するため行動した人物である。多様な在り方を受け入れ、共に手を取り前進していこうという姿勢はローレンスの思想とも一致していることから、彼はヨハネ23世に繋がりを感じその名を選んだのではなかろうか。

またベニテスが名乗ったインノケンティウスも多く名乗られてきているが、直近はインノケンティウス13世(在位:1721年〜1724年)が最後。ベルガー監督はこの名を「先入観のない純粋さを表す名」と語っている。他の枢機卿と異なり、企みや私欲のない純粋な信仰心を持つベニテスに何より相応しい名前なのだ。またベニテスと同様に、イン・ペクトレで枢機卿に任命された後に教皇になった人物としてインノケンティウス10世(在位:1644年〜1655年)がいる。この名が選ばれた背景にはそのような歴史も関係しているのかもしれない。
-Keyword:009
女性性が生む変化
教皇選挙中、修道女たちは食事の準備など奉仕するだけの黒子として扱われる。だが枢機卿たちがもの言わぬ存在と考えていた修道女の代表であるアグネスは、自らの意思をもって「私たち修道女は目に見えぬ存在ですが神は目と耳を下さった」と述べ、トランブレの策略を暴露する。また子宮を有するインターセックス(※)のベニテスは、自身の身体的特徴のまま教皇として生きることを受け入れる。この二人が仕えるのは男性社会ではなく神なのだから。爆発でシスティーナ礼拝堂に開いた穴から風が吹くように、家父長制に支配されていたカトリック教会に二人の女性性が風穴を開けるのだ。外部から閉ざされていた聖マルタの家から3人の修練女が笑いながら出てくるラストカットがこれからの変化を予感させる。

※インターセックスとは、内・外性器や染色体、ホルモンの状態のうちいずれか、ないしはそれぞれが同時に、解剖学上の「男性/女性」と異なる先天的な状態であることの総称として使われている言葉。本作における描写は、インターセックスの多様性を持って生まれた人々の経験を普遍的に表現することを意図したものではありません。
-Keyword:010
脱走した亀
亀が初登場するのは、聖マルタの家付近の庭園でローレンスとベニテスが意見を交わす夜遅くのこと。そこでローレンスに投票したと明かすベニテスだが、ローレンスは祈りに困難を抱えている自分は教皇に相応しくないと胸の内を語る。以前から信仰の危機にあったローレンスだが、教皇選挙を通して彼は自身がどうすべきかますます混乱していく。だが最終的に、ローレンスはベニテスの秘密を知ってもなお、唯一純真な信仰を持つベニテスこそが教皇に相応しいと納得する。

ラストに登場する脱走した亀は揺らいでいたローレンスの信仰の象徴であり、彼は亀をもといた庭園の噴水に還すことで、迷っていた信仰があるべき姿を取り戻したことを示すのだ。ローレンスを演じたレイフ・ファインズも亀について「精神的な自立のシンボルだと思う」と語っている。また亀はその頭と甲羅から「両性具有」の象徴とされるため、映画の結末を示唆する存在としても受け取ることも可能だ。つまり亀は最初にその姿を見せた時にいた二人、ローレンスとベニテス両者を示す存在なのだろう。
-Keyword:011
〈疑念の枢機卿〉と教皇のチェス盤
ローレンスは首席枢機卿としての説教で「信仰には疑念が必要だ」と語り、彼自身も教会と祈りに疑念を感じ信仰の危機に陥っている〈疑念の枢機卿〉だ。彼は教皇に首席枢機卿の辞任を却下されたと明かしているが、結果的には彼がそんな人物であったからこそ、アデイエミの性的不祥事やトランブレの違法行為をその疑念で暴くことに成功したと言える。だがそもそもアデイエミの性的不祥事発覚のきっかけを作ったのは、その事実をトランブレに吹き込んだ教皇であったし、トランブレ失墜の決定打となる報告書も教皇の部屋に隠されていた。

最終的に新教皇となるベニテスの真実を知りながら、辞任を拒んだのも教皇だ。そこで伏線となるのが冒頭、教皇とチェスをした思い出を振り返りながらベリーニが放った「教皇は常に8手先を読む」という発言である。そこから分かるのは、有力候補の悪事をローレンスが暴きベニテスが新教皇になるまで、すべて(爆発を除く)は教皇の思惑通りに動いていたということ。ローレンスがトランブレの違法行為を示す書類をベリーニに見せるシーンで再びチェス盤が登場するが、それはすべて教皇の読み通りということを示唆している。またベルガー監督はインタビューで「原作を踏まえどのような映画にしたいか」という質問に対し、「方法論としてはチェスゲームのようにしたいと思った」と語っていることから、チェス盤はこの作品を象徴するアイテムとも言えるだろう。
参考書籍
・ローマ教皇選挙とカトリック教会 <入門新書 時事問題解説 no.285>
著者:横川和夫 出版社:教育社 刊行年:1979年
・コンクラーベの謎 : ヴァチカンの権威に挑む
著者:小河原 通 出版社:けやき出版 刊行年:2006年